草木と共に過ごしたいと思うけれど…
こんにちは、アラフィフ夫婦のいなかねこです。
最近の話。
いつもの庭仕事の後、昼食を摂りながら、いなかねこ夫は「時間がない」とため息まじりに言いました。毎日の忙しさを表現しているのでなく、自分の人生の残りの時間と照らし合わせた話で、それは妻も同じ感覚をもっていました。
時間がない、なんてどうして思うのでしょう。
そもそも自らが年を重ねてしまっているから。
庭が広く手入れしようにも自らの手に負えない挫折感があるから。
また自然の木々と私たちの人生の時間レンジが隔たれてるような気がしたから。
何でしょうね。
きっとやっぱりアラフィフのせいです。
ペットを飼っていたりすると、世話をして、躾して、うまくやれば手にあまることもなく、共に暮らし、犬猫だと寿命が〜20年ほどだから、最初から最期まで命を見届けることもできて、ある意味手の内になる感じがします。
でも庭にある木って、私たちより前に生まれ、私たちより長く生きそうだし、草は目まぐるしく生まれて消えてたりするものだから、気がづいたら見失っていて、そもそも存ることも気づかずいるのかも知れない。手の内に留まることはないということです。そう、自然と共にあるとは、寄り添うしかないようです。
もどって。
時間がない…
そう、未来を有限とするなら、
計画をたてて過ごさなければ。
実は妻は、ある漠然とした行動計画を持っていました。
田舎暮らし準備中は、仕事を辞めて本格に住むまでの時間として5年程度と考えています。
家を建てた初年から、好きな木や多年草などを植え始め、3年後~5年後に素敵だなと思う庭を作っておき、さらにまた5年後、畑仕事がすぐできるように土地を作っておくというものです。5年後、畑仕事と庭の手入れを愉しむのというものです。
草木も共に時間を過ごせそうなものと、後世に残せるもの、季節毎の、毎年のもの…を選んでいけたら良いです、
あー、鹿の食害も検討しなければなりません。
今もこうして考えているうちに時間は消化されていくんでしょう。